20年ほど前のある冬の日、まだうつ病の症状の軽かった頃のお話です。
雪で真っ白になった道を気の向くままに歩いていきました。
ゆるやかな坂をゆっくり登って行き、ひと息ついて振り返ると、下の方にカラマツの林が見えました。
太陽の光を受けてキラキラ輝いていました。
私はその美しい光景に心を強く打たれたのです。
「なんて美しいんだろう!!」と、
大地にしっかり根をおろし、天に向かって真っすぐに立つ様は誇らしげで神々しくさえありました。
この子達は自分でここに来たいと思って来たのではありません、人がここに植えたのです。
なのになぜこんなに美しいのでしょう。
それはもしかすると、思い通りに行かなくても、良くなる事を信じ、精一杯に成長した姿だったからではないでしょうか。
うつ病と診断されて25年たちました。
折に触れてつづった私のノートはどこのページを開いても
「苦しい」「つらい」「疲れた」の文字が書かれています。
私の人生の半分をうつ病という影がおおっています。
これはいったいどうしたことでしょう。
神様は、人の目にはどう見ても悪いと思える、やりたくない宿題を出されます。
でもそれは愛する我が子のためにそうされるのです。
その宿題をお受けして真剣に取り組んだ人は、人の痛みに寄り添うことのできる人に一歩づつ近づかせていただけるのです。
それはイエス様の香りをまとった内面の美しい姿です。
そんなことも忘れて、なんと長い年月、私は神様の宿題から学ばなかったことでしょう。
自然は神様のことを沢山語ってくれています。
私はあの美しいカラマツたちのことを思い起こそうと決めました。
神様の宿題。
たとえ苦しくてもそこに居なさいという所に居、やりなさいという事を精一杯することを。
『神さま、あなたは私にはできると信じておられるのでしょうか、私にそれができるよう助けてください』
人生最後の日に振り返って見るときに、私という木が天に向かって美しく輝いていることを夢見ながら。
シベリウス 作品75《樹の組曲》より 第5曲 樅の木 ピアノ 舘野泉