2015年3月23日月曜日

おひさまと春の雪とサンキャッチャー



こちらは最近家にやってきた
花と猫のサンキャッチャー

カットした1.5センチのスワロフスキーがついていて

窓辺に吊るすと おひさまの光を通して

ちいさな虹色の光を投げかけます

花と猫はうすーいニッケルで出来ていて

それ自体も銀のようにきらきらとして

窓側のほうには かわいいシルエットが写ります

この猫ちゃんは マロンかな?






こちらの二つは 10年位前にアメリカから

ひとつ板チョコ10枚くらいのお値段で買った

SAG Ink プレスドガラスのサンキャッチャー

ダイヤの形の方はすみれ

もうひとつは植木鉢にチュウリップや水仙やヒヤシンスが植わっています

アメジストガラスってとってもロマンティック

私は ダイアモンドと交換しようと言われてもダメです ! !

大切な宝物なんですから

こちらは ステンドグラスみたいに紫の光を通します

おひさまの光とこんな風に遊ぶのも

楽しくて夢がありますよね

夕べから朝まで降った雪の花が背景です


 Antique Pastorale 
    
http://antique-pastorale.com

2015年3月22日日曜日

ベートーヴェン 交響曲第6番 田園 Pastorale アンティークパストラーレ

ベートーベン 交響曲第6番 田園 PASTORALE

アンティーク パストラーレ
名前の由来

このレコードのジャケットに写っている老紳士は誰でしょう?




少し昔の話になりますが、

私の父はとても貧しい家に生まれて

大人になるまでクラシック音楽を知りませんでした。

大人になって 初めて聴いたその時

「 世の中にこんなに素晴らしいものがあったのか! ! 」

と 大変感動しました。

そして ベートーヴェンの田園に感銘を受けて

結婚して 子供が生まれ それが女の子だったら

園子という名前にしよう と思ったそうです。

初めの子は男の子で その喜びを 

ベートーヴェンの第九であらわしました

何枚組みかのLPレコードで その時代

 1か月分のお給料で購入したとか・・・・・

2番目が私 末っ子の妹には

 自由にのびのび育ってほしいと言う願いをこめて 

シューベルトの ます を贈りました。

私がもらったLPは1958年 ブルーノ ワルター指揮

コロンビア交響楽団のものです。

最近 CDでこれが売られていることを知り 購入して 

ワルターの名盤を聴くことが出来るようになりました。

じっと聴いていると この曲に寄せた父の思いは

いかばかりであっただろうと 胸がいっぱいになります。

その父も 私が結婚する前に 亡くなってしまいました。

子供の時は 園子ってあまり好きではありませんでした

でも 大人になってからは大好きになりました。

西洋アンティークのお店アンティーク パストラーレ

の名前の由来はこの田園からとりました。

自然があふれゆったりと時の流れる田舎のお店で

喜びや安らぎ、ロマンティックで美しいもの

時に強さの中に神様の力を感じるものなど

感動がいっぱい詰まった宝石箱のような

お店になれるよう願いをこめました。

           


第1楽章「田舎に到着したときの愉快な感情の目覚め」



第2楽章「小川のほとりの情景」  



第3楽章「田舎の人々の楽しい集い」


第4楽章「雷雨、嵐」


第5楽章「牧歌 嵐の後の喜ばしい感謝の気持ち」


           5つに分かれてしまいました。ニコニコ動画ですと1つで聴けます。

答えは ブルーノ・ワルターです。 
お父さんとお母さんの愛に包まれているようなやすらかで暖かい演奏だと思います。

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交響曲第6番 ヘ長調は、ドイツ古典派の作曲家ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770年 - 1827年)が1808年に完成させた6番目の交響曲。作品番号68。作曲者によって『田園(ドイツ語: Pastorale)』の標題が付されている。
標題は、初演時に使用されたヴァイオリンのパート譜にベートーヴェン自身の手によって「シンフォニア・パストレッラあるいは田舎での生活の思い出。絵画描写というよりも感情の表出」と記されている。

ベートーヴェンは田園を好み、ウィーンでは近郊を歩き回り、夏には田舎に生活して大自然に親しんだ。彼のスケッチ帳には「森の中で―自分は幸福だ―樹々は語る―汝を通して―おお神よ―なんと素晴らしい……」、「どの樹もみな自分に語るではないか。聖なるかな。聖なるかな。森の中は恍惚たり」などと書き付けてある。日本の音楽評論家門馬直衛は、こうした心情を音楽で語ったのがこの第6交響曲であるとする。
                                                  
                                       ウィキペディアより引用しました。
    


ブルーノ・ワルター(Bruno Walter, 1876年9月15日-1962年2月17日)は、ドイツ出身の指揮者・ピアニスト・作曲家。
ドイツ系ユダヤ人の父親とキリスト教徒に改宗した東欧から移住したユダヤ系の母親の間の子として、ベルリンに生まれる(ブルーノ本人はキリスト教徒)。本名は、ブルーノ・ヴァルター・シュレージンガー (Bruno Walter Schlesinger)。
1933年に、ナチス政権が成立すると、ユダヤ系であったワルターはナチスから迫害を受けるようになる。ナチス政権発足直後に演奏旅行から帰国してきたワルターは、ナチスの宣伝大臣ゲッベルスらによる嫌がらせや殺人予告を受けるようになり、最終的には楽屋に銃弾を撃ち込まれる事態にまで発展した。このため、ワルターが指揮をする演奏会は中止に追い込まれ、彼はドイツを追われてオーストリアのウィーンへ移住せざるを得なくなってしまった。
1938年にオーストリアがナチス・ドイツに併合されてしまうと、命に危険を感じてウィーンを出てスイスのルガーノへ逃れた。
1939年9月に第二次世界大戦が勃発して欧州での戦火が激しくなると、ついにルガーノの家を出てアメリカへと逃れた。アメリカでは、カリフォルニア州ビバリーヒルズに居を構え、常任のポストには就かずにニューヨーク・フィルハーモニックやメトロポリタン歌劇場などを指揮した。
戦後はヨーロッパの楽壇にも復帰し、1947年から1949年の間にニューヨーク・フィルハーモニックの音楽顧問を務めるなど、欧米で精力的に活躍を続けたが、1958年に心臓発作で倒れてしばらく休養。その後もニューヨーク・フィルやウィーン・フィルを指揮して数回演奏会を行なっている。1960年に師マーラーの生誕100周年記念祭のために最後のウィーン訪問を行いウィーン・フィルを指揮する(曲目はマーラーの交響曲第4番、シューベルトの「未完成」など)。同年暮れにロスアンジェルス・フィルの演奏会で当時新進気鋭のヴァン・クライバーンと共演し(曲目はブラームスのピアノ協奏曲第1番、交響曲第1番)、演奏会から引退した。その後ステレオ録音技術が発達してきたため、CBSレコード(現在はソニー・クラシカル)が、ワルターの演奏をステレオで収録するために、ロスアンジェルス付近の音楽家によりコロンビア交響楽団を特別に結成し、この組み合わせで多くの録音が残された。

1962年2月17日、心不全のためカリフォルニア州ビバリーヒルズの自宅で死去。その波乱に満ちた生涯を閉じた。現在、遺体はスイスのルガーノに埋葬されている。
よくワルターの演奏は微笑に例えられ、夢のような幸福感に満ちた美しい演奏、感情を荒々しく出すことのない中庸な演奏をする指揮者として知られている。
ワルター自身、自伝で自分の中にはアポロ的な部分とディオニュソス的な部分が両立している、と述べている。
残されている映像を見るとワルターの指揮は、基本的にタクトを持った右手のみを使い、必要以上に体を動かすことも、左手を使うこともあまりしていない。また、リハーサルでは、文学的な解説や長い演説は余りせず、タクトを振りながら「歌って!」「ディミヌエンド!」「エスプレッシーヴォ!」といった指示を出すのみである。

彼は自伝に「自分は教育的指揮者だ」と残している。このことは、ワルターがトスカニーニのようにオーケストラに対して専制君主として振舞う指揮者ではないことを示しており、ワルターの人柄を良く表している。例えば、ウィーン・フィルでのリハーサルでは悲しい顔をし「なぜあなた達は美しい音を出さないのですか?もっと歌ってください」と言い、団員達は「あんな悲しげな顔でリハーサルされたら音を出さざるを得ないよ。トスカニーニなどの怒りんぼう指揮者以上に困った指揮者だね」と、言ったという。

                                     ウィキペディアより引用しました。


 Antique Pastorale 

         http://antique-pastorale.com

2015年3月14日土曜日

本日 アンティーク パストラーレ OPEN ! !

   本日 アンティーク パストラーレ OPEN ! !



ここのところ大雪ばかりで さらに玄関に落ちた大きな氷に閉ざされて


なんと2日間も家に閉じ込められました。 


でも、今日ネットショップオープンの日は


すっきり青空 十勝晴れです。 やったーっ!!




10年間ヤフーオークションで数多くのアンティークを出品して


沢山のお客様に出会いました


どうもありがとうございました


これからは もっといろいろなものを見て学び、


さまざまな経験を通して心を豊かにし


味わいのあるアンティークを探して行きたいと思っています

 
皆様に
愛されるお店になれますように。

                                                                                                c1850  seed pearl brooch



今日、ご紹介するのは、ジョージアン後期からビクトリアン初期に作られた

150年~200年前のシードパールジュエリーです。

この頃、結婚式に花嫁さんがただ一度使うために作られて

代々その家に受け継がれていったそうです。

驚くのは、その作り方で、

まず、マサーオブパール(真珠母貝)を切り分け土台にします。

そこに、何百何千という1ミリほどのシードパールを

馬の尾の毛を糸にしてつなぎとめて行くのです。

小さなシードパールにどうやって穴を開けたのか

どのように美しい形を作っていったのか?

今では作ることができないのだそうです。

豪華なものでは

ネックレス ティアラ イヤリング ブローチなどのセットが

オリジナルの立派なケースに収められている

美術館に飾られているようなものもありますが

百万円から数百万円の値がついていて

今のところ手が出せず憧れの目で眺めています。

とはいえ、こちらのブローチもなかなかのものだと思っています。

ゆるやかなカーブを描いた十字の形は伸びやかで

そこに葉っぱと14個のベルフラワーがついていて

格調高さの中にもかわいさがあるのが良いですね。

14センチ×5センチという大きさもうれしく

少し改まったシーン。

お食事や観劇、音楽会それから入学式や卒業式

などに身につけられたらちょっと自慢できそうです。

1850年頃作られ、今も良い状態で残っているのはうれしいことです。



Antique Pastorale


http://antique-pastorale.com